先日、テレビで「天空のヒマラヤ部族」という番組を放送していました。5千m級のヒマラヤの峠を幾つも越えてやっと着ける最後の秘境、ネパール北奥地の奥ドルポについてです。壮大なヒマラヤ大パノラマの山岳道を高山病と戦いながら進んでいく様子や海抜高度4000m以上の過酷な自然の中で伝統を重んじた生活は大変興味深いものでした。そこは120年前、河口慧海上人がチベットに行くとき通ったところでもありました。
私は82年の夏、ヒマラヤ山脈西部を横断したときのことを懐かしく思い出しました。カシミール地域ラダックのレーへ行った時のことです。行きは飛行機、帰りはバス。上空からヒマラヤ雪山の連なりを見ながら海抜3650mのレーに。数日滞在後、帰りはバスで鉄道駅があるジャンムーまで3日間乗りました。レーもドルポ同様に、チベット文化世界でした。
写真、①レー街の中心地から見たレーパレス(王宮)。ラサのポタラ宮のモデルになった。②パレスのある丘から見た街。③反対側。畑地以外は、不毛の地。④~⑦レーでのスナップ。⑦は、トイレ。屋根のない2階の中央に穴が開いているだけ。下にたまった糞は肥料として使います。⑧~⑭ヒマラヤを横断するインダス川上流のバスルート。崖の未舗装道路もあり、重い荷物を積んだトラックがバスの屋根にガリガリ擦りながらすれ違っていきました。⑮飛行機から見たヒマラヤ山脈⑯レーの街と畑。⑰地図