お釈迦さま在世時、ヴァイシャーリは部族制共和国家ヴァッジ国の都として権勢を誇り、隣国の専制君主国家マガダ国と勢力を争いあいながら商業都市として繫栄していました。お釈迦さまは、ここに何度も説法に訪れています。80歳で故郷に向かわれたとき最後の法話もされました。天竺五精舎(祇園、鷲嶺、彌猴江、菴羅樹園、竹林)のうちの2つ(彌猴江、菴羅樹園)があったところでもあります。 A アショーカ王石柱あたりは、遊女アンバパーリーのマンゴー園跡です。彼女は、お釈迦さまの法話に感激し自分の持つマンゴー園を寄付し、のちに出家して比丘尼になった方です。そこにはストゥーパや奉献仏塔、池、僧院跡等が広がっています。サルが掘ってお釈迦さまに供養したとされる池の傍に、説法された講堂があったと伝えられています。維摩居士はここでも活躍されました。 仏滅後100年頃、ここで700人の比丘が集まり経や律のことを再確認しあいました。(第二結集)それを機に、戒律や経典を厳格に保持する上座部と、自由に改変する傾向にあった大衆部に分かれはじめることになりました。(根本分裂) B レリックストゥーパは、アショーカ王石柱から約2㎞南にあります。クシナガラで荼毘にふされたお釈迦さまの舎利が、8つの部族・国家に分骨され埋葬されました(八分起塔)が、そのうちの一つがこの仏舎利塔跡です。直径約8ⅿ。今は基壇部分だけですけど、ストゥーパ型の屋根で守られています。アショーカ王は仏法でインドを統一しようと、この仏塔からも仏舎利を掘り出し分骨して8,4万基もの仏塔を支配した全土に建立しようとしました。仏塔(ストゥーパ)は私たちが立てる卒塔婆のルーツです。 C リッチャヴィ族の王宮跡。レリックストゥーパの南東1㎞にあり、南北481ⅿ、東西228ⅿの広さ。今は、レンガの礎石が残っているだけです。 D ビハール州政府が建設中の仏跡博物館パーク?。少し前まで広大な小麦畑であったところを造成して建設中です。インド各地にある仏跡の中間的な位置にあり、大事な仏跡地域ですので、世界の仏教徒が集まれる拠点をつくろうと考えたのでしょう。 ●写真 A ①②ヴァイシャーリ遺跡に向かって修行に励む僧。③サルがお釈迦さまのために掘って供養したと伝わる池。④~⑥アショーカ王石柱。約10ⅿ。上部には一頭の獅子像が、ほぼ完全な形で立っており約2300年前の往時を偲ばせてくれます。⑦維摩経。⑧ヴァイシャーリ地域のグーグルマップ。A~Fで遺跡等の位置関係がわかります。 B ⑨~⑫レリックストゥーパ。⑬パトナー博物館にあるとされるヴァイシャーリで発掘された舎利容器?ネットより。 C ⑭~⑯リッチャヴィ族の王宮跡。D ⑰~⑲建設中の仏教博物館パーク? グーグルマップより。 E ⑳~㉒日本山。 F ㉔宿泊させていただいたスリランカ寺のお仏壇。