25日 11月 2024
一昨日は、大変多くの方々にお集まりいただき無事にお会式(日蓮聖人の第743遠忌報恩感謝法要)を執り行うことができました。ありがとうございました。日蓮聖人は大変喜ばれておられると思います。...
15日 11月 2024
 お釈迦さま在世時、ヴァイシャーリは部族制共和国家ヴァッジ国の都として権勢を誇り、隣国の専制君主国家マガダ国と勢力を争いあいながら商業都市として繫栄していました。お釈迦さまは、ここに何度も説法に訪れています。80歳で故郷に向かわれたとき最後の法話もされました。天竺五精舎(祇園、鷲嶺、彌猴江、菴羅樹園、竹林)のうちの2つ(彌猴江、菴羅樹園)があったところでもあります。 A アショーカ王石柱あたりは、遊女アンバパーリーのマンゴー園跡です。彼女は、お釈迦さまの法話に感激し自分の持つマンゴー園を寄付し、のちに出家して比丘尼になった方です。そこにはストゥーパや奉献仏塔、池、僧院跡等が広がっています。サルが掘ってお釈迦さまに供養したとされる池の傍に、説法された講堂があったと伝えられています。維摩居士はここでも活躍されました。 仏滅後100年頃、ここで700人の比丘が集まり経や律のことを再確認しあいました。(第二結集)それを機に、戒律や経典を厳格に保持する上座部と、自由に改変する傾向にあった大衆部に分かれはじめることになりました。(根本分裂) B  レリックストゥーパは、アショーカ王石柱から約2㎞南にあります。クシナガラで荼毘にふされたお釈迦さまの舎利が、8つの部族・国家に分骨され埋葬されました(八分起塔)が、そのうちの一つがこの仏舎利塔跡です。直径約8ⅿ。今は基壇部分だけですけど、ストゥーパ型の屋根で守られています。アショーカ王は仏法でインドを統一しようと、この仏塔からも仏舎利を掘り出し分骨して8,4万基もの仏塔を支配した全土に建立しようとしました。仏塔(ストゥーパ)は私たちが立てる卒塔婆のルーツです。 C リッチャヴィ族の王宮跡。レリックストゥーパの南東1㎞にあり、南北481ⅿ、東西228ⅿの広さ。今は、レンガの礎石が残っているだけです。 D ビハール州政府が建設中の仏跡博物館パーク?。少し前まで広大な小麦畑であったところを造成して建設中です。インド各地にある仏跡の中間的な位置にあり、大事な仏跡地域ですので、世界の仏教徒が集まれる拠点をつくろうと考えたのでしょう。 ●写真  A  ①②ヴァイシャーリ遺跡に向かって修行に励む僧。③サルがお釈迦さまのために掘って供養したと伝わる池。④~⑥アショーカ王石柱。約10ⅿ。上部には一頭の獅子像が、ほぼ完全な形で立っており約2300年前の往時を偲ばせてくれます。⑦維摩経。⑧ヴァイシャーリ地域のグーグルマップ。A~Fで遺跡等の位置関係がわかります。 B ⑨~⑫レリックストゥーパ。⑬パトナー博物館にあるとされるヴァイシャーリで発掘された舎利容器?ネットより。 C ⑭~⑯リッチャヴィ族の王宮跡。D ⑰~⑲建設中の仏教博物館パーク? グーグルマップより。 E ⑳~㉒日本山。 F ㉔宿泊させていただいたスリランカ寺のお仏壇。 
26日 10月 2024
 ヴァイシャーリーは、お釈迦さま在世時にはインド随一の商業都市として栄えており、お釈迦さまは何度も法を説きに訪れていました。また、第2回仏典結集がおこなわれたところでもあります。  私が訪れた数年前の仏教遺跡群の周辺地域は、写真のように大変のどかな農村地域でした。...
14日 10月 2024
 長く辟易していた暑さはやっと納まり、清々しい秋になりました。 何をやっても気持ちよく、集中してできそうで嬉しいです。 芸術には、文芸(言語芸術)、美術(造形〃)、音楽(音響〃)、演劇・映画(総合〃)等、色々あります。どれにも興味をもち貪欲に楽しみ学べればと思います。...
24日 9月 2024
 お彼岸期間が終りました。 「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通り、後半にやっと涼しくなってきまして、皆さまホッとされておられるのではと思います。...
07日 9月 2024
 お釈迦さまは、ブッダガヤで覚りを得られた後、40年以上にわたり各地で法を説かれてきました。晩年に死期を悟られ、ラージギルから故郷のカピラヴァストゥに向かわれました。途中、チュンダ(鍛冶工)の供養したキノコ料理を食し体調を崩されクシナガラで...
18日 8月 2024
 暦の上では秋だとはいえ、まだまだ暑い日が続いておりますね。皆様はいかがお過ごしでしょうか。  法性寺では8月10日、宝蔵寺では8月17日にお施餓鬼法要が行われ、お盆期間の行事を無事終えることができました。...
02日 8月 2024
写真 ①②マター・クアー・シュライン(クアール寺院)のお釈迦さま像です。大きさ3,05ⅿ。11C頃の作品。③~⑤この場所は、お釈迦さまが弟子の阿難に最後の説法をされたところ、最後の水を飲まれたところです。大涅槃寺境内から南に100m。精舎跡の傍にコンクリートでできた小さい祠(中に座像)があります。外からここは何だろうかと見ていましたら、タオルを被った管理人さんにどうぞと招かれ、祠の鍵を開けてお釈迦さま像を拝ませてくれました。⑥チベット寺院。⑦~⑨日本人の設計によるストゥーパ。中には、中央に日本人製作のお釈迦さま像、周辺の壁には10大弟子が描かれていました。⑩~⑯仏教博物館。外面再塗装中でした。博物館の中は、周辺で発掘された貴重なものが沢山展示されていました。日本人の寄進が多く正法眼蔵(道元禅師が著された仏教書)が展示されていたり日本庭園がつくられていたり、端には日本人寄進者名墓誌までつくられていました。⑰装飾品のお店。⑱雑貨店。⑲⑳屋台の食べ物屋。㉑土産物屋。㉒八百屋。㉓レストラン。㉔~㉖泊まったホテル。ここでは珍しく中級ホテルに泊まりました。3千円ぐらいだったでしょうか。いつもは最安のところ。受付カウンター傍の壁に貼ってあったボードには、クシナガラから他の仏跡への距離が書かれていました。ルンビニ(お釈迦さま生誕地)まで174㎞(北西)。サルナート(初転法輪の地)まで253㎞(南南西)。シュラバスティ(祇園精舎)まで257㎞(西北西)。ブッダガヤ(成道の地)まで357㎞(南南東)の位置にあります。
27日 7月 2024
 本日は、猛烈な暑さの中70名弱の方々が境内掃除にお集まりいただき清掃活動にご尽力賜りまして誠にありがとうございました。  お陰様で境内が大変きれいになりお盆を無事に迎えられそうです。  仏様ご先祖様も皆様が明るく積極的に喜んで作業に打ち込まれておられる姿をご覧になり大変喜ばれておられると思います。誠に感謝申し上げます。  
19日 7月 2024
   お釈迦さまは、35歳で悟りを得られ、サールナートで最初の説法をされてから80歳になるまでインド各地で精力的に法を説かれました。ラージギルから故郷のカピラヴァストゥに向かっての旅の途中で体調を崩されクシナガラの地で最期を迎えられることになりました。 ●クシナガラでのスナップ写真です。...

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